
85歳のトライアスロン世界王者 by 稲田弘 × 山本淳一
いまや「元気な85歳」は数多くいらっしゃいますが、スイム・バイク・ランの3種目、総距離226kmの「アイアンマン」トライアスロンの世界王者となれば、世界に一人しかいません。
国内外の大手メディアで相次いで紹介される稲田弘(いなだ・ひろむ)さん、そして約10年にわたり指導を続けるコーチ・元日本No1.プロトライアスリートの山本淳一さんを、2018年12月のウェルビーイング・ラボでお迎えしました。80代で成長を続ける「アスリート」の動作の秘密、トレーニング方法、そして強さの理由とは?
人生100年時代の最先端がここにあります。
< 目次 >
1. 76歳の挫折
2. 79歳、初の世界王者へ
3. 週・月・年の練習サイクル
4. バイク・ランの技術
5. 85歳の世界王者 ー2018年ハワイを振り返る
6. 世界王者の日常
1. 76歳の挫折
<このページのまとめ>
◆ 60歳で水泳、70歳でトライアスロン、76歳で計226kmのアイアンマンへ◆ 76歳、リタイアの悔しさから名門「稲毛インター」に入会
◆ 集団の力で練習の桁が変わる
◆ 遅れても待たないのが稲毛インターの流儀
◆ 78歳、アイアンマン完走し、世界選手権へ
— まずは司会者から稲田さんの来歴を紹介しましょう。稲田さんは1932年11月19日生まれ、86歳になったばかり。自然環境豊かな和歌山県の出身で、子供の頃はよく海で泳ぎ、早稲田大学では体育会山岳部。NHKで記者として働きながら奥様と一緒に山登りを楽しんできて、海と山で身体を動かす習慣があったわけですね。
60歳の誕生日にNHKを退職します。奥様が難病指定の病気にかかってしまい、その看病のためのご決断でした。その3日目でジムに入り水泳を開始。64歳で水泳仲間とアクアスロン(水泳+ランニング)大会に出場。会場でトライアスロン用の自転車を見て、
初めてのトライアスロン大会は70歳、幕張での51.5km。以後、毎年4回くらい出場し続け、75歳になると波崎ミドル(計97km、2011年の震災で終了)、佐渡B部門(131km)、と距離を伸ばします。そして76歳、計226kmのアイアンマン・ジャパン五島大会(現在の五島長崎 国際トライアスロン大会)へ出場します。
稲田さん、この大会で起きたことを教えてください。
稲田弘さん:(以下稲田)
悔しくて、会場の隅で泣いていたんです。
そしたら、役員の人が近づいてきて、
千葉市には、稲毛インター*と言う大きなスクールがあるから、そこに入ったらどうですか?
とアドバイスをいただきまして。
当時76歳という年齢もあり、大丈夫なのか?そんなオリンピック選手もいるようなすごいところでやらせてもらえるのか?という迷いがありました。でも、
— 山本コーチは当時のこの会話を覚えていますか?
山本淳一さん:(以下山本)
よく覚えてますよ。当時稲毛インターには70歳の会員さんもいて、60歳代でコナの表彰台に上がった方もいて、高齢の方がトライアスロンをやっていることが不思議ではないという状態でした。76歳だからといってそんなに変わらないだろうと。だからお金さえいただければよかったんですね。
76歳からのリベンジ
— 不思議でないといっても、この新たなチャレンジは、70代後半ですよね。いくら最近のお年寄りが元気だからといっても、なかなかできることではないですよね。
最初の練習は覚えていますか?
稲田: 最初の練習はよく覚えています。最初はプールで、水泳は得意だったので問題なくて、やってみたいという気持ちが固まりました。ただみんな速くてびっくりしてね。
(稲田さんに、2006年からの練習日記をお借りしました。2006年から2009年までは「トライアスロンJAPAN」別冊付録のダイアリー、懐かしい方も多いのではないでしょうか? 手前は、2009年10月6日(火)、「稲毛に行った」と記され、翌朝には3300mのスイム練習内容がメモされています。)
それからが大変でした。それまで一人で勝手にやっていた練習とは桁違いだから、もちろんできないですよね。
それまではバイクなら40 km 乗って終わりでした。でも稲毛では、とんでもない。スイムが朝6時から1時間半ぐらい。終わってから朝ご飯を食べて、9時頃にバイク練習がスタート。上田藍選手(北京・ロンドン・リオデジャネイロと3大会連続でオリンピック出場中、世界ランキング最高年間3位)らと一緒に市街地からスタートして、2つめの交差点あたりでみんないなくなっちゃう。そこから完全一人旅です。長いと100kmから120km、山も登る。コースを覚えるのも大変だったんです。
上田選手たちは、お昼前には帰ってきてご飯食べて、ランニングを始めてるんです。僕は午後3時とか、下手すれば夕方ぐらいに帰ってくる。1日置きぐらいでそんな練習があって。
— 慣れるのに、どれくらいの時間がかかったんですか?
稲田: 半年ぐらいかかったんじゃないかな。想像以上のことをやっていたんですが、やってるうちに慣れていったんですね。
76歳でも特別扱いはしない
— 普通、76歳で、半年かけても慣れないですよね?
山本: ここは稲毛の練習スタイルが効いているかもしれません。普通トライアスロンのバイク練習は、仲間うちでやることが多いですよね。途中で遅れたら追い付くまでみんな待ってますよね。
でも、良いか悪いかは別なんですが、稲毛の練習って、みんな待たないんです。遅れたら遅れっぱなし。だからトップを追い続けないといけないんです。実際、ほとんどの生徒さんは付いていきますね。
僕が現役当時、バイク練習から帰ってきて、ラン15 km 走って、お風呂入って出てくると、稲田さんが一人でバイクから帰ってくる。それがだんだんと帰る時間が早くなってきたんです。シャワー浴びる前に帰ってきて、ランの途中に帰ってきて。その成長は目覚ましかったです。
— こうして、自己流だった稲田さんのトレーニングは質も量も一気に向上。特に経験の浅かったバイクが劇的に成長し、翌2010年、77歳でアイアンマン70.3セントレア・ジャパン大会(計113km)で出場権を獲得して、フロリダのハーフ・アイアンマン世界選手権(計113km)へ出場、75−79歳カテゴリで2位入賞を果たします。
さらに翌年78歳では韓国のアイアンマン予選(226km) で出場権を獲得し、アイアンマン世界選手権 (226km)に初出場を果たしました。
稲田: そこで再び挫折を味わうことになります。
山本: まさかの、スタート直前の食べ過ぎにより・・・。
「アイアンマン世界選手権」について
スイム3.86km、バイク180.2km、ラン42.2kmを連続する「アイアンマン」レースは、1978年ハワイ・オハフ島で始まりました。この距離は、東京お台場の潮風公園から隅田川岸の旧築地市場まで泳ぎ、東京駅から静岡駅まで新幹線の線路上を自転車で進み(ちょうど180.2km)、静岡駅で東海道本線へとトランジットして再び線路上を掛川駅一つ手前の菊川駅(駅間42km)まで走る計算です。
その世界選手権が毎年10月、ハワイ島北西岸コナを舞台に開催されます。世界各国およそ10万人が参加する予選を突破した参加者は、2018年度で2,472名。プロ・アマチュア(年齢別のため「エイジ」と呼ばれます)が同じコースを同日に走るのが特徴です。日の出の頃のスタートから8時間ほど後に男子プロ世界王者が誕生、ゴールが閉じられる深夜24時には、男女プロの新世界王者が最終走者を出迎えます。この制限時間までに稲田さんがゴールできるか、世界のファンがネット中継と、GPSトラッカーの速報で見守っています。
(写真の木製サラダボウルには「FIRST PLACE MALE 85-89 OCTOBER 13. 2018」の刻印が。ハワイでしか育たない「コア」の樹(アカシア科)から削り出された稲田さんの今年の世界王者トロフィーです。
ハワイ語で「コア」は「勇気」を意味し、かつては王族のみが使用を許されていました。 美しい木目と暖かな色合いが特徴で、大木に育つまで長い時間を要し、伐採も制限された希少素材です。
まさに、長い時間をかけて育ってきた勇者にふさわしいトロフィーですね。)
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