妊娠中&出産直後のトライアスロンby 西村知乃

妊娠中&出産直後のトライアスロンby 西村知乃

<このページのまとめ>

  • 海外の女性アスリートには妊娠中も積極的にトレーニングし、競技復帰する成功例が目立つ
  • 産後7ヶ月でアイアンマン・トライアスロン(226km)への復帰を成功させたのが西村知乃さん(30)
  • 西村さんの、国立スポーツ科学センター(JISS)のサポートによるトレーニング内容とは?
  • 妊娠・出産による制約を、どのように対応してきたのか?
  • 仕事・家庭・競技のすべてを成功させる動機とは?

編集部より:出産1年3ヶ月後の世界トップを目指す 西村知乃選手

 妊娠出産をはさんで、女性はどこまでアクティブでいられるのか? 女性活躍推進が叫ばれる中、注目されるこのテーマの最先端をいくのが女性スポーツです。過酷さで知られる総距離226kmのアイアンマンのエイジカテゴリ(年齢別市民部門)世界トップを目指す西村知乃選手(30歳、なお年齢は全て年末時点)もその一人です。

 出産までの華々しい競技成績を紹介すると、

  • 中学・高校と水泳部(ただし神奈川県大会まで、関東大会へ進めず)
  • 大学ではジョギング程度
  • 大手建設企業に新卒入社した2012年にロードバイクを買い、トライアスロンの練習を開始
  • 2013年5月の横浜大会(51.5km)でトライアスロン大会デビュー、8月にはアイアンマンジャパン北海道(226km)で女子総合優勝(プロ除く)し、翌年のアイアンマン世界選手権ハワイ出場権を獲得
  • 2014年6月、東京都選手権エリートカテゴリ(51.5km)を優勝(東京都国体代表権を獲得するもアイアンマンと重なるため辞退)、10月のアイアンマン世界選手権で6位(表彰台は5位まで)
  • 2016年、大学職員へ転職、アイアンマン世界選手権で10位、大会翌日にハワイで結婚
  • 2017年10月ついにアイアンマン世界選手権で5位入賞(女子25-29歳カテゴリ)

 とフルタイムで働きながら、短期間で一気に世界トップレベルへと成長し、ついに世界のトライアスリートの憧れの表彰台に登りました。

 2017年11月にめでたく妊娠判明、2018年7月に無事出産。

 この間も、JISS(国立スポーツ科学センター)の「妊娠期トレーニングサポートプログラム」を受けてトレーニングを継続してきました。

 そして産後7ヶ月にあたる2019年3月ニュージーランド・タウポのアイアンマン予選で10時間3分53秒(Swim1:03, Bike5:36, Run3:17) という好タイムで30-34歳カテゴリ優勝(プロ除き総合3位)。今年10月の世界選手権出場を獲得しました。今回の目標は表彰台の一番上、世界王者です。

 彼女の動機とは? どのようなトレーニングをしてきたのか? それはどのような医学的根拠に基づいているのか?

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出産・育児、そしてアイアンマン世界王者への挑戦

 2017年のアイアンマン世界選手権で、5位に入賞することができました。初出場した2014年、あと一人で逃した表彰台です。3年かけて登ることができて、とても嬉しかったです。

 でも同時に思ったのは、一番高い所に行きたい、世界王者になりたい、ということでした。

※編集部注:2017年アイアンマン世界選手権では、西村さんは当時28歳として出場し10時間12分54秒で女子25−29歳カテゴリで5位に入賞しました。同カテゴリの上位2選手は29歳なので翌年はカテゴリが分かれます。

そこで2018年に出場した場合、最大のライバルを翌年もカテゴリが同じRuth Purbrookさん(ドイツ)10時間08分33秒と仮定すれば、西村さんとのタイム差は4分21秒。比率では0.7%差です。また女子18-24歳カテゴリ1位Federica De Nicolaさん(イタリア)は10時間06分19秒、24歳なので翌年カテゴリが重なり、タイム差は6分35秒です。

実際には選手は入れ替わるので、あくまでもシミュレーションではありますが、西村さんのレベル感がわかるのではないでしょうか。世界王者との差0.7%とは、100m走でいえば10秒00か10秒07かという差。トップレベルではこの差が大きなことも確かではありますが、西村さんにとってきわめて現実的な目標であることもわかりますね。

 どうすれば一番になれるか?と考えて、ランニング強化を第一の目標にしました。上位の欧米勢と差を付けられているのはバイクなので、バイクを強くしたい気持ちはあったのですが、バイクの強化には時間がかかる印象もあって、ランなら1年で間に合う気がしたからです。

 そこで関根明子コーチにランニングの指導をお願いしました。

※関根明子(旧姓平尾)コーチはかつて実業団ダイハツ所属のエリート長距離ランナー。幼少期からの水泳経験もあり、トライアスロンに転向してオリンピック2大会に出場。2000年シドニー五輪17位、2004年アテネ五輪12位の成績を残しています。

 その直後に妊娠が判明したんです。どうやら10月のレースではお腹の中に細胞ぐらいはいたみたいです。(笑)

妊娠中にどれだけ動けるのか

 妊娠がわかった時、まず思ったのは、「一昨日ものすごい勢いで坂を走って下ったけど、その衝撃は大丈夫だったの?」「今週末の水泳大会は、出ても大丈夫なの?」

 そこでお医者さんに素直に聞いてみました。

西村さん
私トライアスロンをしているんですけど、これからも泳いだり走ったりしても良いですか?
先生
妊婦という自覚を持ってください!

 怒られました。

 でも、海外の選手は妊娠中でもバリバリ動いている。本当かなあ?と調べてみたけど、日本のサイトではどこも「適度な運動ならOK」みたい浅い情報ばかりで全然参考になりませんでした。そこで海外の記事、学術文献、選手ブログなどの英文をたくさん読みました。

 いろいろなことがわかりました。

「妊娠初期の流産は、染色体異常が主因」

「運動と流産の関係性は科学的に立証されていない」

「アメリカでは、1960年代には妊婦の運動は全く奨励されていなかったが、後にガイドラインが作成され、運動が勧められるようになっている」

アメリカのガイドラインでは、

  • 順調な妊娠経過を送っている人は30分以上の定期的な運動を奨励
  • 激しい運動をする場合はよく観察すること
  • 運動をする前に医学的な診察をすること
  • 妊娠中期以降は仰向けや静止状態での立ちっぱなしを避けること

(参考:Runner’s World「A Runner’s Guide to Training Through Pregnancy」12Nov2014

 など書かれています。

 そこで私が運動する場合に守るべきは

  • 体温を上げすぎない(胎児は体温調整ができないため)
  • 酸欠にならない(胎児への血流が減るため)
  • 水分不足にならない

 といったことで、そうすれば運動自体は問題ないようでした。

 とはいえ、日本では「妊婦さんはとにかく安静にしていなきゃいけない」というイメージが強いですよね。妊婦さんはみんな慎重だし、運動することに対して周りの理解も得にくいでしょう。なにかあったときに責められるのは私です。それらを覚悟のうえで、出産後の競技への早期復帰に向けて挑戦することにしました。

 ちなみに、後で担当いただくようになった産婦人科医さんは、海外の女子柔道選手は「妊娠中でも安定期になったら練習で投げられている」という話も紹介していました。羊水で守られているから衝撃が伝わらないそうです。どれだけ信憑性があるのかはわかりませんが。(笑)

 そこで、また復帰したいです、と関根さんに話したら、JISS(国立スポーツ科学センター)の女性アスリート向けの「妊娠期、産前・産後期トレーニング サポートプログラム」を紹介していただきました。関根さんは JTU (日本トライアスロン連合)の理事もしていらっしゃるので、選手強化を通じてJISSとのつながりがあったんです。

 また出産後には、各種ホルモンの変化、骨盤中心に骨格の変化などが起こるため、重点的なケアが必要であるようです。その時にも専門家の方々にみていただけるのは心強いです。

 もしも関根さんにコーチを頼んでいなかったら、両立にはチャレンジしていなかったと思います。

今しかできないことは、今したい

 なぜ私は、出産と競技を両立したいと思ったのか。

 それは、仕事を含めて考えたときに、「これだけ競技に集中できるのは今しかないんじゃないかな」と思うからです。

 もう一度ハワイ世界選手権に出る、世界王者を目指す、ということは前から決めていたことです。それは子供が出来ようが出来まいが、関係なく、実現したいんです。

 幸い、勤務先の環境に恵まれて、今は育休を取らせていただいています。休めるという仕組みがあって、職場もそれで回るのなら、競技に集中できる時期だとだと捉えることにしました。たしかに子供はいるけれども、むしろメリットなんじゃないか?ということです。

 アイアンマンは将来も続けたいのですが、今のようにはできないかもしれません。これから仕事に復帰したら、練習は仕事の前か後にしかできませんが、そうすると子供を見る時間がなくなっちゃいます。子供が育って小学校とかに上がっても、またいろいろ大変で、そんなにレースとか言っていられないんじゃないかな。

 仕事と家庭は大切にしたいですから。

仕事、家庭、競技、みんな大事

 私がこう思うのには、今いるチームの人たちの影響が大きいです。

 私は2014年、初めての世界選手権に向けて、TRION(トライオン)というチームの練習に参加するようになりました。このチームは世界選手権などの経験も豊富な強豪市民トライアスリートが集まっているのですが、一番驚いたのは、みんな仕事も家族も大切にしているということでした。責任の大きな仕事をしていて、家族の多い方もいる。その中で国内トップレベルの競技成績も出している。

 当時私は、忙しい部署にいて、あまり練習できなかったこともあったけど、甘いなと思わされました。私も全部できるようになりたいと思いました。それがこのチームに出会って大きく変わったことです。

 チームと出会って一番変わったことは、結婚相手と出会ったことです。(笑)

 結局、私はその後で転職して、今は仕事と競技を両立させやすい環境にあります。大学職員として大学生たち支える仕事はとても好きです。また職場では私がトライアスロンをしていることへの理解もとても高くて、いつも応援していただいています。

 職場の方で恵まれた環境を用意していただいているのなら、競技面で私ができることで最大の成果にチャレンジすることが、今の私にできることだと思っています。

(インタビュー実施: 2019年3月 東京都渋谷区桜丘 株式会社メイクス)

編集部より:世界のトップ女性アスリートの出産と競技復帰

 日本では「妊婦さんはとにかく安静にしていなきゃいけない」というイメージが強いかと思いますが、世界に目を向けると、トップ女性アスリートたちの競技と出産との両立事例が目立ちます。たとえば2016年8月リオ五輪トライアスロン女子の表彰台3名のうち、金メダルのジョーゲンセン選手(アメリカ)、銀のスピリグ選手(スイス)の二人は共に五輪翌年の2017年に出産し、2020年の東京五輪に備えています。

 両立実績豊富なのはスピリグ選手。

  • 2012年: ロンドン五輪トライアスロン女子 金
  • 2013年: 第一子出産
  • 2016年: リオ五輪トライアスロン女子 銀
  • 2017年5月:第二子出産
  • 2018年: 13大会に出場、ヨーロッパ選手権準優勝
  • 2019年4月:第三子出産予定
  • 2020年: 東京五輪(予定)

 競技復帰により積極なのがジョーゲンセン選手です。

  • 妊娠7−8ヶ月頃の2017年6月には大きなお腹でマウンテンバイクを走らせる姿をインスタグラムに投稿し
  • 2017年8月: 出産、後にマラソンへの転向を発表
  • 2018年2月: 復帰後初レースの室内5000m15分15秒 (好記録)
  • 2018年5月: ハーフマラソン全米選手権4位、70分58秒
  • 2018年10月: シカゴマラソン2時間36分

 選手層が厚く、しかもアフリカ選手という強力なライバルのいるマラソンへの転向を決めるあたりから、より難しいチャレンジを選択する姿勢にジョーゲンセンらしさを感じます。

 産後半年ほどの5000mは好記録でしたが、距離を伸ばしてゆく中でジョーゲンセン選手は伸び悩みを感じているとのことで、ここしばらく大会出場を控えて持久力の強化に集中しているようです。

 そういえば日本でも、女子プロレスのジャガー横田さんが妊娠中にプロレスの試合に出ながら45歳で無事出産されていますね。旦那さんは医師で、了解のもとでのことですが、本人はマネしないでくださいと言っているのでご注意ください。

 次回より、妊娠中・出産後のトレーニングの詳細、その中で感じた文化の差などをお伝えしていきます。