妊娠中&出産直後のトライアスロンby 西村知乃

妊娠中&出産直後のトライアスロンby 西村知乃

<このページのまとめ>

  • きっかけは中学時代TVで見たトライアスロン
  • 就職1年目に自転車を買い、1年経たずにアイアンマン優勝
  • 開始2年で世界選手権の表彰台まであと1人
  • 開始5年で表彰台へ
  • 理解ある環境はとても重要

高校時代 ― トライアスロンへの興味

 私がトライアスロンをやってみたいと最初に思ったのは中学生の頃です。たぶん2004年のアテネオリンピックをTVで見て「楽しそうだな、私もやりたいな」と思ったのを覚えています。

(※トライアスロンは2000年シドニーからオリンピックに採用され、2度目のアテネは、西内洋行、 田山寛豪、中西真知子、関根明子、庭田清美の5選手が出場。関根選手は今、コーチおよび協会理事の立場で、西村さんの産後の競技復帰に大きな役割を果たしており、なにか運命的ですね)

 水泳は、小学校で4泳法までスイミングスクールで習って、中学・高校と水泳部でした。走るのも得意で、校内の持久走大会で2位になったこともあります。

 しかし全部中途半端で、スイミングスクールは選手コースに進まずに辞めていますし、エリート競泳選手のような泳力はありません。水泳部では平泳ぎが専門でベストタイムは100 m 1分18秒。高校では神奈川県の関東大会予選でメドレーリレーの決勝レースまで進みましたが、9位に終わり、8位までの関東大会には出場できませんでした。とても悔しかったです。それでも、私立の強豪校が多い神奈川で決勝まで残れた県立高校は2校だけで、よくがんばったとは思います。

 「大学に入ったらトライアスロンやろうかな」と思っていました。しかし進学した国際教養大学は、とてもトライアスロンをやるような環境ではなかったです。全ての講義が英語の大学で、帰国子女も多い中に、普通の公立高校で受験英語しか勉強していない私が入学したんです。特に最初はとても大変でした。一応、女子フットサル部に所属はしていましたが、大学時代は勉強ばかりしていました。がんばったおかげで大学通算の評定平均3.8(※4点満点、ほぼオールAということです)を取ることができ、留学先も希望通りに選ぶことができました。

(※国際教養大学は英教育専門誌の「世界大学ランキング2019」では旧帝大に次ぎ、公立+私立ではトップの10位にランクイン、グローバル教育では国内最強と評価されている秋田県の公立大学です)

大学時代 ― やると決めたことはやりきりたい

 私はトライアスロンに限らず、妥協をしたくないんだと思います。一度やると決めたらやりたい。なにか障害が出てきたら解決して進みたい。

 当時のエピソードを1つお話しますと、大学では1年間の海外留学が必須で、提携先大学の枠があるので行きたい大学に留学するには、英語力(TOEFL)やと大学の成績を合わせた順になります。

 私はイギリスに2年生のうちに留学をしたくて、基準をがんばってクリアして、一度は決まりました。しかし決まった後に

留学先大学
基準が変わったからそのTOEFLスコアは無効になりました。再受験してください。

 と言われてしまいました。しかし日程的に、再受験だと留学が3年生になってしまいます。

 そこで、大学1年生なりに、国際教養大の職員さんに一生懸命交渉しました。

西村さん
どうしても行きたいです!
 

 と言い続けて。そうしたら留学先の大学と交渉してくれることになりました。

留学先大学
教授からの推薦書があればいいですよ

 ということになり、予定通り留学することができました。

 私はどんなことでも、「ちょっとくらいの障害があっても乗り超えてやれ!」と思ってやっています。今取り組んでいるトライアスロンでもそうですね。

 ちなみに、留学したイギリスのアバディーン大学(University of Aberdeen)では、トライアスロン部もあったのですが、自転車の用意などハードルが高いなと思って、かわりに水中ホッケー(Underwater Hockey)という競技をしていました。見たことも聞いたこともないスポーツにイギリスで遭遇して、惹かれたんです。

 パックを相手のゴールに入れるのはアイスホッケーと同じですが、違うのは、フィンを足に付けてプールに潜って、プールの底でパックを移動させることです。

 スタートと点が入った後は、自陣の端で合図を待ちます。この写真の女性が私です。はい、男女ミックスチームです。

 観客席から見ていると全く面白くないですね!(笑) たまに選手が息継ぎのために浮かんでくるのが見えるくらいで、点が入ったかどうかは審判の合図でしかわかりませんし。(笑)

 私も試合に出させてもらい、イギリスの学生全国大会(日本のインカレに相当)では3位になりました。表彰式の写真を見ると、スコットランドの大学なので、男性もキルトのスカートを履いてますね。

(西村さんは前列左)

 そんな学び最優先の大学生活の中で、トライアスロンへの憧れは続いていて、新卒入社した時の新入社員紹介の冊子には、私が達成したい夢として、「アイアンマンになる」と書いてあります。大学の頃からアイアンマンレースというものは知っていたということですね。

ただ、その時は「一生に一度しかできないようなすごいこと」をしてみたい、といった程度のぼんやりとした憧れでした。「エベレストに一度登ってみたい」というくらいですね。(笑)

就職1年目 ― デビュー

 就職した1年目に長期間の海外研修があり、海外出張手当がまるまる余って、そのお金で秋にロードバイクを購入しました。お金が自由に使えるって素晴らしいですよね。

 職場でトライアスロンをやっている人がいて、「私もやりたいと思っていたんですよ」と言って、教えてもらいながらトライアスロンの練習を始めました。

 当時練馬区に住んでいて、12月ごろから練馬区トライアスロン連合の人と一緒に練習をしながら、「アイアンマンに出るには、オリンピック・ディスタンス(51.5km)を完走していないといけない」ことを知りました。

 2013年5月の横浜トライアスロン、保険として6月の蒲郡トライアスロンに申込をし、横浜大会がトライアスロンデビュー戦となりました。

※記録:2時間26分20秒 女子20-24歳カテゴリ2位

 8月、北海道洞爺湖で初のロングディスタンスとなるアイアンマンジャパン北海道ではエイジ総合優勝(プロ含め4位)、翌年のアイアンマン世界選手権の出場権を獲得できました。

※記録:10時間40分05秒

1年目からの急成長

 練習を始めて1年と経たない初アイアンマンでの好成績でした。

周りのトライアスリート
西村さんすごい!

 ハワイ表彰台が狙える!

 とおだてられて、自分では「そんなの無理だ!」と思いながらも、「もしかしたら?」という気持ちも芽生えました。

 そこから、アイアンマン世界選手権での表彰台を目標に、猛烈に練習を始めました。

 当時の練習日誌をみると、休日は時間の許す限り一日中練習しています。とにかく、いっぱい練習しなきゃ、と思い込んでいました。

1日で

  • バイク180km
  • ラン20〜30km
  • スイム6000m

 といった練習ボリュームが基本でした。

 そのうち、いろいろ知識もついてきて、これをずっとやっていても「長時間、身体を動かし続ける力」がつくだけで、「根本的なスピード」は変わらず、頭打ちになる、とわかりました。

 以後、強いチームやクラブの練習に参加するようになり、短い距離で追い込むインターバル練習というものも知って、バリエーションをつけて練習するようになりました。

 つまり洞爺湖大会までは、ジョグだけで臨んでいたということです。(笑)

 その結果、スピードも上がり、2014年6月の東京都選手権(51.5km)でも優勝できました。国内最高峰の大会であるお台場の日本選手権国体と両方の権利を取れたのですが、ハワイ世界選手権の翌日と一週間後だったので、世界選手権を優先して辞退せざるをえませんでした。

2014年、秋の悔しさと決意

 2014年10月、ハワイ島コナの世界選手権に初出場しました。結果は6位でした。5位までが入賞です。

※記録:10時間29分20秒、表彰台まであと5分ほどでした

 コナのコースはとても辛かったです。 その後も幾つかのアイアンマン大会に出ましたが、どのコースよりも辛いです。

 レース中、走りながら

西村さん
こんな辛いコース、もう二度と走れない!
 

 くらいに思っていました。

 でも、だんだんと悔しくなってきたんです。

 レース翌日に表彰式があり、2,000人ほどの参加者、あと応援なども加わった大きな会場で、もしかしたら自分が立っていたかもしれない表彰台を見ながら、思いました。

西村さん
この場所に立てなければ、トライアスロンをやる意味、世界選手権に出る意味がない!
 

 レース3日後くらいに飛行機で帰国する頃には、目標が固まりました。

2015年のトンネル

 翌2015年には、世界選手権に行けませんでした。予選には2回出て、エイジ総合2位を2度取ったんです。しかしどちらもカテゴリ2位、出場権は1枠のみでした。

 その年は、オーバートレーニングで足を故障したり、自転車の落車で鎖骨を骨折したり、アクシデントも多かったのです。

 その頃、仕事とトライアスロンとの両立のための障害が大きくなってきて、結局2016年の夏に今の勤務先に転職しました。

 転職活動にあたり、「トライアスロンをやっています」ということはエントリーシートにも積極的に書いて、競技を含めた自分自身をトータルに認めていただける仕事環境を探しました。

2016年、新しい環境

 大学職員に転職したのは、夫(当時婚約中)が大学職員で、学生と関わる仕事がとても楽しそうでした。私自身も学生時代の留学体験で職員さんにお世話になった経験もありますし、今度は自分が学生さんを海外に送り出すようなことも手伝えるといいなと思いました。

 その年の10月、二度目の世界選手権は10位。順位は落としましたが、レース直後に現地で結婚式を挙げまして、気持ちはそちらに向いていました。(笑)

 こうして職場環境が落ち着いて、家庭もでき、「仕事も家庭もトライアスロンも全部大事」にできる理想的な環境がついに実現しました。職場の人達はとても理解があります。夫は同じチームなので、競技への理解はいうまでもありません。

2017年、実現へ

 2017年10月、3度めの世界選手権でついに表彰台に立つことができました。

 こうした経験から言えることは、「職場の環境」「周囲の理解」といった要素は、社会人がスポーツを続けるために、とても重要だということです。

 私は自分自身を、「自分に厳しい」とか「ストイック」というよりも、「自分に妥協したくない」という性格だと思っています。たとえば「30キロ走る」と決めたら、雨が降っても走ったりします。

 環境面で障害ができれば、自分を周りに合わせて妥協するのではなくて、環境の方を変えようとしました。決めたからには、「どのようにすればできるか?」だけを考えたいです。おかでげ、自分の目標を実現することができました。

 このレースはお腹の中の子供と一緒に走ったわけですが、「やると決めたらやる」ということは出産も同じことです。達成したいものを一つ決めたら、突き進むだけです。

(続く)

 ※編集部より

 水中ホッケーという競技はこの取材で初めて知りました。調べると、日本でも一般社団法人日本水中スポーツ連盟 https://jusf.gr.jp/hockey/ という競技団体があり、世界選手権も開催されています。競技の様子は、たとえばこちらの世界選手権女子のイギリス対フランスの動画からよくわかります。なるほど、観客席からはわけがわかりません(笑)。大型モニターで水中の様子を映し出していますね。

 

 次回は、出産前後のトレーニングについて少しマニアックにお伝えする予定です。お楽しみに!